櫻井翔 未来への言葉展で考えた 

自分の言葉は、未来をどう生きるかの決意表明です。

 
櫻井翔くんの「未来への言葉展」に行って来ました。
その時に感じたことを書きます。
 
 
「言葉の展覧会」ってどういうものかって言うと、
「その時感じたこと、残しておきたいこと、誰かに伝えたいこと」を、言葉という形で表現した展示会でした。
 
初めの部屋は、ジャニーズWebに20年間書き続けたブログの展示です。
ブログに書かれた文字たちが、天井からレシートのような長い紙に打ち出されてぶら下がっていて、そのアナログな分量の多さが20年間という歳月を物語っていました。
 
ブログに書かれた一瞬一瞬の出来事が、積みあがるとこんな厚みになるんだな。
自分にとっては瞬間の体験でも、自分の血となり肉となっていることってたくさんあるんだろうなぁ。
それはそうですよね、0歳の子どもが成人式を迎えるような年月なんですから・・・
 
次の部屋は、オリンピックやラグビーワールドカップでの取材ノートや、プレス証、ブログやラップを書き留める為に使っていたAUの携帯電話、小学生の時のノートなど、普段は目にすることのない私的に記録された言葉の展示です。
特に取材ノートは清書されたものではないので、翔くんの、その時感じた生の言葉が綴られていました。
2008年北京オリンピックでの、北島康介選手が金メダルを取ったときの取材ノートからは、その時の興奮、勢いが、走り書きされた文字から伝わってくるようでした。
 
次は、第二次世界大戦に海軍士官として従軍した大伯父さんにまつわる展示。
2021年にNewsweekに戦争について寄稿したことも知らなかったけれど、大叔父さんが従軍していたことも知りませんでした。
そして翔くんが、嵐として音楽やバラエティー番組に出演する以外に、言葉で戦争について伝えることにこんなに取り組んでいたなんて・・・
 
次は、翔くんのラップをヘッドホンでサウナのように浴びる「サクラップ」のコーナー
櫻井くんの撮った写真を見ながら、彼のピアノの演奏に癒されるコーナーの後、
 
報道番組『news zero』で長年取材を続けてきた東日本大震災にまつわる展示があります。
 
「先ほどまで全貌と思っていたものが、時間とともに一部であったことを知り絶望する。」
 
のように、短い言葉の展示と『news zero』での取材映像が流れています。
「被災地の今を未来に伝え続けていくんだ」という彼の決意が、短いメッセージの端々から伝わってきました。
 
その先は、
「ありがとうの交換。的な」と題した
翔くんの文章にAYAKA FUKANOさんが絵を付けて、大型スクリーンに投影した作品。
 
1つは、翔くんがおばあちゃんの家で過ごした時の、おばあちゃんと櫻井くんの交わした日常の風景。
「お帰り、ビールの飲む?」「うん、いる」とか、
「今日は先にお風呂入るよ」とか、
日常にある、ありがとうな風景。
 
もう1つは、嵐のメンバー4人の言葉にはしない思いやり。
翔くんがマスコミの取材攻勢で大変だった時、メンバーの4人だけは「大丈夫?」とも声をかけず、いつものとおり普通に接してくれたというエピーソード。
翔くんの気持ちを4人はわかっているし、翔くんにも4人の気持ちが伝わっている。
だけど敢えて普通にしている。
まるで家族のように。
 
翔くんが書いていました。
 
「昨日のという日の延長に今日があり、
   今日という日の延長に明日があり、
   明日の延長に未来がある。」
 
だから、自分の言葉は、今日という日をどう生きたのかの証だし、
       自分の言葉は、未来をどう生きるかの決意表明。
 
あらためて、言葉は言霊(ことだま)なんだなと感じた展示会でした。
 
 

大人なカフェタイム マックカフェバイバリスタ

マクドナルドと言うと、学生や1人で食事をしているサラリーマンで混雑しているイメージがありますが、私が行ってみたマックカフェバイバリスタは全然異なる雰囲気でした。
 
まず、メニューが通常店と違い、スタバのようにフラッペやラテ、ケーキ、マカロンなどが楽しめます。
 
私が行った、立川立飛店は店内が広く、駐車場も28台分あります。
平日の昼間で、小さい子どもを連れてお茶をしているグルプやご夫婦がいましたが、店内が広々としているせいか騒がしくなく、静かで落ち着いた雰囲気でした。
 
マックカフェバイバリスタにずーっと行きたかったのですが、都内に9店舗しかなく、三多摩地域だと立川立飛店か八王子高倉町店しかないので、なかなかついでに立ち寄るような用事がなかったので、今日はその為だけに行ってきました。
 
私は、マシュマロクリームタルトと、オレオクッキーロールケーキ、アメリカーノをいただきました。
 
 
〇マシュマロクリームタルト
ダマンド、ガナッシュのタルトの上に焼き目がついたマシュマロクリームがのっているのですが、生クリームとちがって優しい甘さです。コーヒーに良く合います。
 

〇オレオクッキーロールケーキ
こちらはココア味のスポンジに生クリームが入っているのですが、スポンジも、上からかかっているオレオクッキーもほろ苦く、大人の味です。甘いフラッペにも合いそうです。

 
平日にゆったりと、大人のティータイムを楽しむことができました。
ごちそう様でした。

櫻井翔の「大病院占拠」と松本潤の「どうする家康」は両極端なリーダー像

今期の夜ドラマに、嵐の櫻井翔くんと、松本潤くんが出演しています。
潤くんは1年ぶりのドラマ出演で、テレビで毎週顔が見られることをとっても楽しみにしていました。
 
両ドラマもそこまで高視聴率という訳ではありませんが、「リーダー像の違い」という視点で比較しながら見てみると、なかなか楽しいです。
 
まず、櫻井翔くんの大病院占拠。
桜井翔くん演じる武蔵三郎は、神奈川県警捜査一課、強行犯係の刑事。
圧倒的推理能力と行動力があり、自分の経験と直感に従い判断する。
 
ドラマでは、武蔵刑事の推理と行動力でピンチをしのぎ、病院を占拠している者(鬼)の正体が暴かれ、人質も殺されずに済んでいる。
直観に頼りすぎていることも多く、偶然うまくいっている感が否めない。
 
その行動を県警本部は危なっかしく、苦々しく見ているが、武蔵刑事本人が、自分の行動を反省する様子はない。
 
一方、松本潤くん演じる若き日の家康は、できれば戦いたくない男。今川義元の人質の身とはいえ一国の主なのに、即断即決を迫られる戦の場でも、進退を即断することができない。挙句の果てに織田信長が攻め込んでくると知るや家来を残して逃げ出してしまう・・・。
 
家康は、妻子を捨て、今川を裏切って織田側に着くのだが、それも家臣たちの命をかけた上訴によって、不本意ながら決断する。
ドラマでは妻子の元に帰りたい家康の無念が描かれているが、一国の未来や大勢の家臣より私事を大事にするリーダーである。私なら到底着いていきたくないし、他に当主の代わりがいたのなら、とっくに挿げ替えられているだろう。
 
「どうする家康」の家康も、「大病院占拠」の武蔵三郎も、即断即決を迫られる状況は同じだが、武蔵が迷いなく判断を下す一方、家康は即断ができない。人間の脳は、自動的で処理が速い「システム1」と、意識的で処理の遅い「システム2」の2つのモードで思考を処理するという理論があるが、武蔵三郎は「システム1」で判断するタイプとして描かれ、家康は「システム2」タイプのようだ。
実際には、時と場合により、「システム1」と「システム2」を人間は使い分けているのだろうが、ドラマだからそこは極端に描かれている。
 
見ていて痛快なのは、即断してピンチを切り抜ける武蔵三郎だと思う。
しかし、実際に決断する場面でリーダーが取る行動は、家康に近いのではないだろうか?
 
大病院占拠はラストで事件が解決し(いや、解決しないラストもあるのか?)、家康は天下を取るのだろう。
どちらにせよ、その時その時の判断の積み重ねが結果を生む。
家康も人質から天下人となることができた。
 
判断には常にリスクを伴うし、間違うこともある。
しかし、間違いやリスクを怖がっていては前に進めない。
 
私は二人のリーダーの判断の違いを見ながら、自分だったらどうするだろうかと考えることを毎回楽しんでいる。
 
そして、若者よ、間違いやリスクを怖がらずやってみようよ、と思う。
 

旅をすることは、失敗すること。失敗することは、成長すること。

昨年末に韓国ソウルに一人旅をして、たくさん失敗をしました。
 
まずは、土曜日の早朝にカフェに行って美味しいコーヒーを飲もうと思ったのですが、土曜日はそんなに早くカフェは空いていませんでした。
駅前の飲食店やカフェがたくさん集まっている辺りをウロウロと歩いてみたのですが、早朝から開いているお店はなく、仕方なくまたホテル付近まで戻り、一軒のラーメン屋さんにやっとたどり着くくとができました。
その日のソウルの朝の気温は-11℃!凍えるような寒さでした!
 
休日のカフェは早朝は空いてないということを学んだので、翌日の日曜日はお店の開店時間を念入りに調べておきました。
 
そしてまたある日、ガイドブックに眺望がよさそうなカフェが掲載されていたので、行ってみることにしました。
周りに目標物はなく、駅からは1㎞もなさそうだったので、ガイドブックの地図に従って歩いたものの、歩けども歩けども見つからず。
通りがかりのお店や地元の人に聞くと、スマホで検索して方向は教えてくれるのですが、実際の道を辿ってみると民家しかなかったり…
 
それでもあきらめないで、ガイドブックにあるお店から見える景色を手がかりに歩くこと2時間、とうとう根性でたどり着きました!
その時の嬉しさと言ったら、仕事での成果を褒められた時の10倍以上は優にあったと思います。
 
たった15分程度の道のりだったのに、2時間もかかるとは・・・
(根本的に、スマホの地図がうまく読めないのがいけないのでしょうけれど)
 
こんな困難がありつつも、韓国で失敗して本当に良かったと思っています。
 
東京の日常は、いつも通りに出勤し、いつもどおりに仕事をこなし、特段失敗も無いかわりに感動も発見ない毎日です。
 
でも、韓国での日々は、失敗→発見→試行錯誤→困難の克服・達成→成長→満足感
の連続でした。
 
満足感は困難の克服や、やり遂げたという達成感がないと生まれないし、困難の克服も試行錯誤を重ねなければできません。
言い過ぎかもしれないけれど、失敗の無いところには成長も満足もないんです。
 
そのことを韓国に一人旅をして学びました。
 
本当なら、学校や職場で、失敗から困難を克服する喜びが味わえたら一番いいのでしょうけれど、余裕のない現状では、なかなか失敗は許容されていません。
だから、若い人ほど旅に出て、たくさん失敗をして、自分で正解を見つける喜びを感じてほしいです。
 
たった一杯のラーメンでこんなことを感じられるって、旅はやっぱり最高ですね。

ひとりで韓国旅行をして、家族と過ごす時間の大切さを知った

2022.12.15の韓国上空
 
2022年12月、韓国ソウルに一人旅をしました。
 
行きのティーウェイ航空の飛行機から下を見ると、関東平野のなんて大きいこと!
普段自分が感じている高低差は全くわからず、凹凸無い全くの平地に見え、その真ん中に悠々と利根川が流れていました。
「こんなに真っ平らでは、ちょっと大きな台風が来れば瞬く間に水が増水して、水害が起きてしまうだろうな」、と上空から眺めたことで初めて理解しまいた。
 
そして、毎日NHK朝ドラ「舞い上がれ」を見ているせいか、いつもの離陸や旋回、着陸と、飛行機の動作一つ一つにパイロットさんの技術の高さ感じ、いちいち感動してしいました。
当たり前ですが、どんなに雲が多くて視界が悪くても、滑走路のセンターラインにビシッと着陸するんですね~。すご~い!
 
この日のソウルの最高気温は4度。
夕方から雪という予報でしたが、午後3時に着陸した時には雪は止んでいて、気温もさほど寒く感じず、モッズコート、トレーナ、シャツの出で立ちでも暑いぐらいでした。
 
コロナになってから初めての韓国でしたが、Qコードで検疫もものの1分もかからず、入国審査もあっという間で、荷物がなかなか出てこないかったことを除けば全くスムーズに入国することができました。
4年前に来た時の仁川空港は、さすがにハブ空港だけあり大変賑やかでしたが、今回は成田と同様ガラガラで寂れていたせいですね。
 
仁川空港に着くと、ソウル駅までの直行便の電車の乗り場もすぐ見つけることができ、4年前に家族で旅行した思い出が次々と蘇ってきました。
「ああ、あのお店行ったなぁ、あそこでアイス食べたっけ…」
そこここに家族との思い出が結びついているからこそ、電車の乗り方も、明洞までの地下街の上がり口の場所も、すぐ思い出すことができます。
 
やっぱり自分だけじゃなくて、家族と一緒に体験を共有したからこそ、特別なものとして脳に焼き付いているんだろうな。楽しかったんだろうな。
 
一人旅をして、家族と過ごす時間の大切さを知ったのでした。

ぷりん大好き   No.13cafe 新宿

 

 
新宿の健康プラザハイジアビル4階にあるカフェです。
恐らく、プールやらジムやらを利用した方が立ち寄るようなカフェなのでしょう、平日は17時閉店でした。
 
おしゃれなカフェというより、くつろげる雰囲気のアットホームな感じのカフェでした。
 
・固さ 固めのプリン
・クリーム 甘くて、たっぷりとしたカラメルソースに良く合います
(おもわず皿に溜まったソースをすくって飲んでしまいました!)
・値段 鶏卵プリン500円(コーヒーまたは紅茶のセットで800円)お値段は手ごろです。
 
穴場っぽいので、休憩場所には良いのです。西部新宿駅から徒歩2分です。

クリームソーダもカラフルで可愛い感じでした。

捨てられない人生もいい 

書評 捨てない生きかた 五木寛之

タイトルに惹かれてこの本を詠みました。

 
結論から言うと、
私はもっと家を片付けて、自分が大好きだと言えるものだけに囲まれて暮らしたい。
もっともっと物を減らしたい。
という欲求に変化はありませんでした。
 
でも、
 
物が過去の記憶を呼び起こし、その時代の空気までも想起させる依代である
 
という筆者の言葉には説得力がありました。
 
なぜなら、我が家にある古びた着せ替え人形や、中学生の時からずーっと使っている勉強机の黒ずみを見ると、当時の自分の姿と共に、あの時のせつなく苦い感情が思い出されるからです。
 
戦争で焼け野原になった国土は、高度成長期に見事に復活を遂げたけれど、消えてしまったものも少なくはありません。
戦後77年を過ぎて、もはや戦争を知っている方も少なくなり、戦争遺跡以外に過去を物語るものがなくなってしまいました。
 
焼け焦げた衣服、防空壕の跡、証言集などから想像する他ありません。
 
日本は高度成長期を終え、下り坂の社会であると筆者は言います。
下り坂の社会は成熟した社会です。
物、場所を手掛かりに過去を想像し、振り返り、わが身はどうすべきか考える。
それが成熟した人間ならこそ、できることではないでしょうか?
 
まだまだ物を捨てて身軽になりたい、自由になりたい、と思っている私は、半熟人間なのだと思います。