# 窓の向こうの、魚の群れ 「シャネルを持って、カフェに行こう」第2弾。

2026年10月12日

 

 

今日は立川のグリーンスプリングスの中にある、ペーパームーンさんに来た。

グリーン・スプリングスは、立川駅から歩いて10分もかからない。それなのに、緑の多い気持ちのいい空間に、カフェや飲食店、ホテル、イベントスペースが並んでいる。多摩信用金庫のオフィスもあって、駅前の賑やかさに比べると、少しだけ落ち着いた時間が流れている。

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今日は連休の最終日。ゆっくり読書でもしようと思って、家を出た。

ところが、ガラス張りのカフェの向こう側には、なんと秋祭りが開かれていた。

私の目の前は、射的場や出店に群がる子どもたちでいっぱいだ。メタリックに輝く銀色の風船。子どもが大好きな、おもちゃの刀。熊やうさぎの耳のカチューシャ。

今日は失敗したかな、と思った。

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けれど、このお店はミートパイやチェリーパイ、ケーキが中心のカフェで、お祭りに来た家族連れが食事には入ってこない。

私は窓の外の人の流れを眺めながら、ゆっくりと本を読むことができた。

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本の世界に没頭していて、ふと窓ガラスの向こうに目を向けた。

そこにいたのは、行き交う人ではなかった。

イワシや鯵の群れが、水の中をたくさん泳いでいるようだった。キラキラと光りながら。

私はその水槽を、ゆったりとした椅子に座って眺めている。

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心が豊かであれば、どんなところでもくつろげるのだ。

私が目指したい大人も、きっとそういう人に違いない。

 

小言を言える相手がいる幸せ

今朝、地震で飛び起きた。

実際には震度2。けれど寝ぼけていたせいか、「とうとう大地震が来た。もうだめかもしれない」と、本気で命の危機を感じた。

最近は台風が来なくても、急な大雨で命を落とす危険がある。おまけに59歳。身体の不調はたびたびあって、そのたびに「これは重い病気なんじゃないか」と思ってしまう。

つまり私は、四六時中「死ぬかもしれない」と心配しながら生きている。

それなのに、だ。

行きたくないと言いながら長年勤める会社に通い、ぶつぶつ文句を言いながら家事をし、片づけない家族に小言を言う。甘いものはやめられず、ジムで運動はしているのに、お腹は一向にへこまない。

これは、死の恐怖と正面から向き合わずにすむようにという、遺伝子の配慮なのだろうか。それとも、私がただ目を背けているだけなのか。

だらだらした毎日を自動的に繰り返すより、元気な今のうちに、好きなことを、本当にやりたいことを、一緒にいたい人と過ごすべきなんじゃないだろうか。

そうか。こうしている今この瞬間も、死は少しずつ近づいているのだな。

そう思ったら、小言を言える相手がいることが、急に愛おしくなった。

明日も、たぶん私は同じことを言う

 

2026年9月29日

金ピカのサイバーキャブと、美容師さんの手のぬくもり

 

今日は2か月ぶりに美容院に行った。

シャンプーをしてくれたのは、新人さんだった。それなのに、その人の手は私の首を優しく支えて、でも頭をぜんぶゆだねても安心できるくらいに力強かった。

何の心配もいらなかった。目をつむって、ただ任せていればよかった。

 

気分もウキウキになり、テスラが日本でロボタクシー専用車両「サイバーキャブ」を公開展示していたことを思い出し、テスラの新宿店へ向かった。

 

黄金色のボディ。あまりにも近未来すぎて、これは一体タクシーなのかとびっくりした。ハンドルもない。ドアの開き方も、私の知っている車とはまるで違う。

これが街を流している姿を、私はまだうまく想像できないが、アメリカでは、もう実際に動いているのだという。

 

タクシーやバスは全部自動運転になって、運転手さんもいなくなって、車だけが縦横無尽に街を走り回っている。そんな光景が、本当にもうすぐそこまで来ているのだろうなと思った。

 

子どもの頃に見た鉄腕アトムでは、アトムが空を飛び、同じ空を車や飛行機も飛び交っていた。

あれは遠い未来の話だったはずなのに・・・

乗り物やロボットが主流になって、人がほとんど働いていない未来。それも本当に、もうすぐそこなのかもしれない。

 

それでも、と思う。

一日が終わってみて、私の心に残っていたのは、金ピカのサイバーキャブではなかった。

数時間前に私の頭をゆだねさせてくれた、あの人の手だった。

優しい手の動かし方。ぬくもり。言葉には表せない気遣い。

そういうものの方が、よっぽど心に染みた。

 

技術が進むのは、きっといいことなのだと思う。

運転手さんのいないタクシーにも、いつか私は当たり前に乗るのだろう。

でも、あの手のぬくもりに気づける人ではいたい。

そういうことを感じられる人でありながら、ロボットとも一緒に暮らしていきたい。

 

そんなことを考えながら、新宿の街を歩いて帰った。

 

2026年9月26日

ペシャルティ珈琲とレーズンバターケーキ

KICHIJOJI CAFE  (吉祥寺)

 

私は街を眺めながら珈琲を飲むのが好きです。

吉祥寺で#外が見えるカフェ、で検索したら出てきたお店です。

今日はあいにくの雨でしたが、満席で30程待ちました。後ろにも5~6人待つほどの人気です。

 

お食事もあったのですが、スペシャルティ珈琲 と レーズンバターケーキをいただきました。

スペシャルティ珈琲 は蓋つきビーカーのような容器に入っていて、熱々で火傷に気をつけながら開けると、強く薫るというより、優しい天然の香りがしました。苦味を感じることなく爽やかな余韻が残ります。

レーズンバターケーキ はラム酒を利かせていると書いてありましたが、お酒感は強くなく、レーズンやサクサクのクランブルが濃厚なバタークリームにマッチして、一度口に入れたらフォークを置くことができない美味しさでした。

 

シルバーウイーク最後を満喫できました。

 

2026年9月23日

 

https://www.instagram.com/kichijoji_cafe

シャネルのバックが私に伝えたかったこと。



25年以上前、母がシャネルのバッグを買った。

たぶん母にとってそれは、大人の女性、自立した女性の象徴だったのだと思う。けれど母がそのバッグを持って出かける姿を、私はほとんど見たことがない。80歳を過ぎて、もう活躍する場もなくなって、バッグはタンスの奥でずっと眠っていた。

いつか私も、このバッグが似合う女性になろう。

そう思って、私はそれを自分の家に持って帰った。

 

60歳まで後1年を切った。

60歳で仕事を辞めて、これからどうしようと考えたとき、ふと思い出した。そういえば私、シャネルのバッグが似合う女性になりたかったんだった。

でも「シャネルのバッグが似合う」って、どういうことなんだろう。持って出かけて、私は何がしたいんだろう。

しかも、シャネルのバックに似合うような高い服も靴も持っていない。

 

友人にそのことを話したら、「お試し的にやってみたらいいんじゃない?」と言われた。たしかに、その通りだ。

シルバーウィークの5連休、時間だけは何とかありそうだ。

それに私だって、いつ何時、このバッグを持って出かけられない体になるかわからない。

「連休にやってみる。」と友人に宣言した。

 

そして今日、初めてシャネルのバッグを持って、街に出た。

街に出て分かったことがある。

私は、ものすごくおしゃれでな大人になりたい訳じゃなかった。ばっちり決めて六本木に繰り出し、素敵なカフェ行きたいのでもなかった。

 

私がシャネルを持ちたいのは、自分は価値のある人間だと思いたいからだった。

 

シャネルを持って街を歩くと、見える景色が変わった。

美しい原色の花々。何十年も読み継がれてきた、子どもの絵本。甘さ控えめのケーキ。香り高い珈琲。そういうものが、やたらと目に留まる。そして、欲しくなる。

 

体の中に染み渡るようなケーキと珈琲。ゆっくりとした心地よい時間を浴びて、

なんて長いこと、自分を大事に扱ってこなかったんだろうと、カフェの椅子の中で、そのことにようやく気がついた。

 

また、このバッグを持って街に出かけよう。自分自身を、大事にしてあげるために。

 

#シャネル#カフェ#大事なこと#自分を大事に

2026年9月23日

すみっコぐらしが教えてくれた、“自分のままでいいんだ”ということ

 

えびふらいドン

子どもの映画には冒険ものが多い。

子どもがひょんなきっかけで冒険の旅に出て、人との出会いや別れ、様々な困難の克服を通じて、精神的に大人になる物語だ。

 

ドラえもんののび太君だって、冒険をして、ほんの少し強くなって帰ってくる。

 

すみっコぐらしたちもそうだ。

 

普段は怖がりで、人に見つからないようにすみっこでひっそりと暮らしているけれど、

仲間と一緒なら知らない世界に旅に出て、協力して困難に立ち向かうことができる。

ありままの自分を少し肯定することができるようになる。

 

映画の中では、空の王国の危機を救おうと、空から落ちてきた王国の王子と一緒に冒険の旅に出る。

 

要約してみれば、何万回もこすられたストーリーなのだが、どうしても映画が見たくなってしまう。

 

なぜ、すみっコぐらしの冒険が 心にささるのか?

 

それは、ちっぽけな自分の殻を打ち破って、強くなろうと懸命に頑張るから。

懸命に頑張ってもひとりでは失敗してしまうけれど、そんな仲間を信じて、応援して、一緒に頑張るから。

そんな健気な姿が、「どうせ頑張っても・・・」とか、「生まれながらの才能が・・・」なんて言って諦めるよりも何倍もかっこいいから。

 

そして、そんなすみっコたちは、メガすみっコに変身するでもなく、相変わらず怖がりだったり、弱虫だったりのままだけど、ほんのちょっとだけ自分に自信が持てるようになってる。

 

それが自分の姿と重なるから。なのかな。

 

ちっぽけな自分でも、今日も前を向いて、こんな自分でいいんだと思って生きていこう。

そう思える勇気をくれるからなのかも。

効率を重視するデンマークでは「雑談」を大切にする

デンマーク人は雑談を良くするそうだ。

そして雑談を大切にしているそうだ。

 

雑談を辞書で調べると、「とりとめのない談話。よもやまの話。」とあり、たいして中身のある話をしているとは思えないが、なぜデンマーク人は雑談を大切にするのか?

 

本書を読んでわかったのは、デンマーク人は「効率」を重視するということ。

コスパ意識が高く、会議はコストがかかるものと認識されるため、「ちょっといいですか?」と気軽に始められる雑談で、気になることは速攻で解決してしまうらしい。

たいていの職場には、職員同士がコーヒーを飲みながら雑談できるペースがあるようだ。

 

日本の場合、「話聞いてないけど」というクレームが出ないよう、すべての関係者に平等に情報を流すことを意識するがゆえに、関係者の日程を調整し、場所を押さえ、資料を作って稟議にかけて・・・と莫大な時間がかかる。確かにコスパが悪い。

 

そもそもデンマークの会社は人数も少ないらしいので、意思決定もスムーズに進みそうだけど。

 

また、デンマーク人はコミュニケーションを大切にする。

プライベートもオープンで、お互いのことを深く理解しようとする。

 

だから家庭の事情から、最近あった面白い話から、仕事で困っていることから、どんなことでも雑談のネタになるし、積極的に困っていることの解決策を教えあったりするらしい。

雑談は情報の宝庫なのだ。

 

最後に、本書で一番興味深かったのは、デンマーク人は常に一番を目指しているということ。

常に情報をアップデートし、新しい製品やサービスを産み出して、他に先んじようとする姿勢。それは、雑談という短い時間の会話からも何かを得ようとする貪欲さにも表れている。

 

たかが雑談、されど雑談なのである。