櫻井翔の「大病院占拠」と松本潤の「どうする家康」は両極端なリーダー像

今期の夜ドラマに、嵐の櫻井翔くんと、松本潤くんが出演しています。
潤くんは1年ぶりのドラマ出演で、テレビで毎週顔が見られることをとっても楽しみにしていました。
 
両ドラマもそこまで高視聴率という訳ではありませんが、「リーダー像の違い」という視点で比較しながら見てみると、なかなか楽しいです。
 
まず、櫻井翔くんの大病院占拠。
桜井翔くん演じる武蔵三郎は、神奈川県警捜査一課、強行犯係の刑事。
圧倒的推理能力と行動力があり、自分の経験と直感に従い判断する。
 
ドラマでは、武蔵刑事の推理と行動力でピンチをしのぎ、病院を占拠している者(鬼)の正体が暴かれ、人質も殺されずに済んでいる。
直観に頼りすぎていることも多く、偶然うまくいっている感が否めない。
 
その行動を県警本部は危なっかしく、苦々しく見ているが、武蔵刑事本人が、自分の行動を反省する様子はない。
 
一方、松本潤くん演じる若き日の家康は、できれば戦いたくない男。今川義元の人質の身とはいえ一国の主なのに、即断即決を迫られる戦の場でも、進退を即断することができない。挙句の果てに織田信長が攻め込んでくると知るや家来を残して逃げ出してしまう・・・。
 
家康は、妻子を捨て、今川を裏切って織田側に着くのだが、それも家臣たちの命をかけた上訴によって、不本意ながら決断する。
ドラマでは妻子の元に帰りたい家康の無念が描かれているが、一国の未来や大勢の家臣より私事を大事にするリーダーである。私なら到底着いていきたくないし、他に当主の代わりがいたのなら、とっくに挿げ替えられているだろう。
 
「どうする家康」の家康も、「大病院占拠」の武蔵三郎も、即断即決を迫られる状況は同じだが、武蔵が迷いなく判断を下す一方、家康は即断ができない。人間の脳は、自動的で処理が速い「システム1」と、意識的で処理の遅い「システム2」の2つのモードで思考を処理するという理論があるが、武蔵三郎は「システム1」で判断するタイプとして描かれ、家康は「システム2」タイプのようだ。
実際には、時と場合により、「システム1」と「システム2」を人間は使い分けているのだろうが、ドラマだからそこは極端に描かれている。
 
見ていて痛快なのは、即断してピンチを切り抜ける武蔵三郎だと思う。
しかし、実際に決断する場面でリーダーが取る行動は、家康に近いのではないだろうか?
 
大病院占拠はラストで事件が解決し(いや、解決しないラストもあるのか?)、家康は天下を取るのだろう。
どちらにせよ、その時その時の判断の積み重ねが結果を生む。
家康も人質から天下人となることができた。
 
判断には常にリスクを伴うし、間違うこともある。
しかし、間違いやリスクを怖がっていては前に進めない。
 
私は二人のリーダーの判断の違いを見ながら、自分だったらどうするだろうかと考えることを毎回楽しんでいる。
 
そして、若者よ、間違いやリスクを怖がらずやってみようよ、と思う。