国家には危機が必要なのか?        (書評)危機と人類 ジャレド・ダイアモンド著

 

 

内容

 

初めに、本書で取り上げられている国、フィンランド、チリ、インドネシア、日本、ドイツ、オーストラリア、アメリカは、筆者が滞在したことがあるなど、直接関りを持った国ばかりである。対象としてもっと有効な国の選択があるのかもしれないが、そのおかげで筆者や筆者の友人の直接的な体験や知識を参考にすることができた。

 

次に、これらの国で危機に対し共通して起こったことは「選択的変化」だ。

外的、内的圧力に対して、とるべき対応を「選択した」結果、危機を脱することができた。

明治日本の例でいえば、西洋との間に結んだ差別的条約を解消するために、富国強兵を最優先にした政策が取られたことなどだ。

 

そして、この本の結論は、国の政策変更の原動力として「危機」は必要なのか?

また、国家の指導者たちは歴史的に重要な影響を与えているのか?

という問いに対する答えになっている。

 

第一の問いの答えは、突発的な危機が目前に迫っていなくても、危機を想定して国家が自ら行動を起こすことは可能だ。

例えば、第二次世界大戦後の欧州経済共同体(EEC)やEUにつながる政治機構の設立計画などは、第三次世界大戦という危機を想定し、欧州を統合することで大戦の危機を避けようという行動であった。

 

しかし、本書で取り上げられた、日本の抱えている問題は数十年前から以前として進展しておらず、明治維新のような突発的な危機が起こった方が、社会のシステムをすばやく変化させるのに有効である。その方が政府も思い腰を上げるに違いない。

 

第二の問いの答えは、

指導者によって歴史的に重要な影響を与える場合もあるし、そうでない場合もある。

明治日本では1人の指導者による支配は存在しなかったが、フィンランドのマンネハイム元帥やチリのピノチェトインドネシアスカルノスハルトのように尋常でない影響を残した指導者もいる。

だから、カリスマ的な指導者がいなければ歴史は動かないというのは言い訳に過ぎない。

 

幸せポイント

現代日本の抱える問題として、女性の性別的役割の固定化、少子化、人口減少、高齢化が挙げられている。どれも長らく言われ続けているが解決できていない問題で、本当に解決できる日が来るのだろうかと疑念がわく。

 

しかし、この問題を乗り越えた国はあり、日本が他国の危機から学ぶ気さえあれば、高齢化や働き手が減少する問題を解決するすることができるかもしれない。

 

例えば、アメリカやオーストラリアは移民を受け入れていて、高齢化により生産年齢人口が減ってしまっても、働き手を補充することができる。

 

日本は移民を受け入れずに、女性が結婚しても働き続けられるような政策を強力に推し進めて、労働力を確保し、収入が上がることで少子化を食い止めることも不可能ではないが、移民がベビーシッターや家事労働を担ってくれる国とは異なり、保育所の建設や男性の家事・育児参加の増加だけで達成するのは相当困難を伴うだろう。

 

日本の少子化、高齢化問題は待ったなしのはずだ。それなら移民という、他国が成功している政策を試さない手はないのではないだろうか?

 

他国の危機や、日本の過去の危機に学ぶことができるというのは、なんて心強いのだろう。乗り越えてきた国があるのだから、きっと日本も乗り越えられるはずなのだから。