父を在宅で看取ったこと その1
父を在宅で看取った
父が亡くなって一ヶ月が過ぎようとしています。
本当に父が存在していたのか?病気で苦しんでいたのか?もしかしたら、現実でなかったのではないか?
と思わせるぐらい、何事もなかったように、あっさりと日常生活に戻ってしまいました。
父は83歳で肺がんが見つかり、見つかった時はステージ4で、高齢であるため手術や放射線治療はできませんでした。
唯一残されたのは、当時は最新の治療薬だったオプジーボを投与して、自分の免疫力を上げ、癌の進行を食い止めることでした。
奈良県の吉野山で生まれ、幼い時から家で使う薪を山に取りに行ったり、片道二時間かけて自転車で高校に通ったりと頑強な体を持った父でしたが、その体に似つかわしくないほど繊細な血管の持ち主で、点滴の針を刺すのに毎回毎回つらい思いをしながらも、数十回にわたる投与をやりきりました。
最後に訪問診療の先生が、よく頑張ったね、と言ってくれましたが、本当によく頑張ったと思います。
昨年の9月には、成人式の前撮りで晴れ着を着た孫と、車椅子に乗って、一緒に写真を撮ることが出来たのですが、11月ぐらいからベッドの上で過ごすことが多くなりました。
そして、12月に入ると、あれよあれよという間に食が細り、ポータブルトイレに行く力もなくなり、みるみるうちに弱っていきました。
寂しがり屋の父を病院に入院させるのをかわいそうだと思った母は、子ども達の手をほとんど借りずに在宅で看病し、12月26日に亡くなった時も、在宅で看取ることができました。
10年前に、脊柱管狭窄症を患い、長年経営していた工場を辞めた後はほとんど自宅から外に出ることもなかった父ですが、
こうやって実家を尋ねてみると、
本当は母は1人暮らしだったのではないか?
どういうような気さえして来るのです。
人間という存在は、遺伝子と多数の細胞が統合したもので、その統合の象徴としての体がなくなってしまうと、本当に存在していたのかどうか、その記憶すらあやふやになってしまうようです。
私がこのブログを書いているのは、父との思い出があやふやになって消え去ってしまう前に、ここに書き残しておきたいと思ったからです。
そして、高齢の母が最期まで在宅でにとることができたのは、ケアマネージャーさん初め在宅のリハビリ、訪問看護、本門診療の医師の皆さんがチームになって支えてくれたおかげです。
心より感謝申し上げます。
2021年1月20日